暴力が何処にでもあるのは何故か。
(実体験より分かってきた事)
何故か。
本人は自分だけに敏感だから。
自分に関わる人々からDVが起きやすいのは事実です。
歴史で繰り返されているので理由はいらないですね。
刺激しなくても起こる暴力は有ります。
共感しろと言っている意味で暴れ、共感を得ると正義が生まれ更に暴れる。
例えば。
ポルポト政権で大量虐殺とか最近迄やってましたし、今ここに書いたら私が危険な国も有ります。
歴史だけ見ても人ってムダに怖がっても良いのかも知れない気さえします。
暴れる為に、受け入れがたい無理難題を言いだす。
何か否定されたら暴れられるから。
(笑える位におかしな話ですが)
家族や関係者に、本人に対する批判や否定、会話や、相談、総てに対して否定をやめる方法では変わらない。
当人は理由なく苦しいので暴れるだけ。最早それだけだからです。
何時も何処かで出会うのは「慢性型の暴力」
特に何もしていなくても、些細な理由で言いがかり、難癖をつけ暴れ出す感じ。
衝動的にやっているから、
当人にとっては当たり前。
刺激しなくても、世の中とは厄介な暴力が何処かで必ず起こり続いています。
「歴史を見ても、何時でも何処でも慢性的に暴力が続いているのは明らかだからです」
暴れ出す。その理由が衝撃的。
例えば「音がした」とか「暑い、寒い」ですら暴れる理由。
厄介が動いてる。そんな感じですな。
自分に関わる物質があるから暴れる。
よくある理由では。
「否定的な思いを抱いている訳でもないが不安」「自分に価値がない気がする」「意味がない気がする」「比べると惨めな気がする」「癇癪だから癇癪が癇癪で癇癪故に癇癪…」
上記を関わる人へ暴れる事で解消。
本人視点では。
「上記を思い付いた。関係者に原因がある気がする」「関係者が悪人な気がする」等など。
原因として。
視点が違う事を理解できない。
よって様々な思い込みが生まれ関係者を否定的になる。結果暴力行為。
関係者と関わると、不満をぶつけずにいられなくなってしまうのは誰にでもあります。
暴力の根源はどうもコレの様です。
自分の苦しさを味わえ!ってやつですな。
「のうのうと生きる等許さん」とかで言いがかりが良くある。特に職場とか。
そもそも他人の視点を行動理由として思考経由できていないので明確に意識して判別が出来ていない人が一定数世の中に居ます。
何かあると出来なくなる人々は更に居ます。
そうせずにはいられない。
衝動。
(迷惑やなぁ…とは言え無いですが…正直迷惑)
根源にあるのは「物質との関わり」ですが、理解力が追い付かないだけだと体験で気付く事ができました。
(嘘みたいですよね…でもこれが周囲に多少居るんですよ。現実って何なの?とか本当に思います)
私も電子レンジとか造れませんし暴れなきゃ。
(正しく間違えられるか?が生きる為に必要なのは、わかってきました)
ただ。
暴力だけは受け入れないことにした。