ネットでは避難警報
避難所は開放されていなかった
学校や公民館も元旦は警備員や関係者も居ない場所が多いと思われる
311時鳥取県にて1期生の就農予算に関するお祝いをしていた最中、テレビで津波を知り直ぐに救助に向かったが潰れた遺体や破片を片付けた記憶が蘇った
放射線被害もあったのか何を食べても殆ど吐く生活が半年近く続き、激ヤセで結果靭帯が断裂し入院。就農を諦めざるを得なくなった。そして実家に戻りおかしくなった姉夫婦、弟に何もかも奪われる生活に歯止めが効かなくなった
嫌な記憶が現実的に見て私には多過ぎるかも知れない
もう誰かのために何かする余裕はない